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『ミラーハウスへようこそ』前編

 あなたはミラーハウスに入ったことがありますか?  違う違う、遊園地のじゃなくて、本当のミラーハウス。  聞いたこと無い?  おかしいな、だって、誰でも入れるんだよ。  ――まぁ、入れるのは一度きりなんだけどね。



 夕暮れ時、とぼとぼと歩いていた少女は、ふとため息を吐いた。  手提げ鞄を持つ手を擦るのは、肌寒くなってきたからだろうか。  こんな日はコンビニに寄って肉まんを買って帰ろうとか思うものだが  帰宅途中の少女の表情は暗く、ずっと俯いたままだった。  いつもの歩道橋に差し掛かった時、反対側から  全身を黒で覆ったスラリと背の高い男がやってきた。  上から下まで真っ黒だったため、少女は一瞬  驚いて足を止め、その男に釘付けだったが  すぐに下を向いて、歩道橋を歩き始めた。  しかし、擦れ違いざまに気になって、少女は男の背中を見送った。  何も変わらない、いつもの光景と差し込んでくる夕日の眩しさで目を細めて。  再び、歩き出そうと前を見た。  すると、少女の目の前に突然、霧が広がっていた。



 「……なんで、こんな……」  突然、現れた霧はしばらく少女の視界を遮っていた。  少女は霧の中で立ち尽くすしかなかった。  そうしていないと、足元から全身が崩れ落ちるようで怖かったのだ。  帰るのが億劫だった少女は、心の底から帰りたい気分でいっぱいだった。  早く霧が晴れるようにと、少女は目をぎゅっと瞑って祈る。  「――お客様ですか?」  ふいに聞こえてきた声に安心して、少女は閉じていた目を開いた。  だが、目の前に映っていたのは、いつもの寂れた歩道橋じゃなくて。  「……ここ、どこですか?」  あの眩しすぎた夕日の景色は、薄暗く湿った森の中に変わっていた。  いつのまにか、少女の近くにいた執事のような格好をした男性がにっこり微笑んだ。  「ミラーハウスの前です。」  オウム返しで尋ねると、執事っぽい男性は嫌な顔ひとつせず説明してくれた。  ミラーハウスは一生に一度だけ入れる鏡の館のことで  ある特別な思いを抱いた人達だけが招かれる不思議な場所らしい。  「一生に一度だけなの?」  「はい。この館は、一見さん以外の方はお断りなんです。」  「どうして?」  「この館は、見たいものが見られる鏡の館なのでお客様の中には   二度目を望む方が結構、いらっしゃるんです。ですが、二度見は大変危険なので   命が惜しい方はどうぞご遠慮くださいとお断りしているんです。」  いつまでも森の中なのは危険だからと、執事っぽい男性は――  「私の事はセバスと呼んでください。」  まるっきり執事のような名前のセバスは、その鏡の館に案内してくれた。  少女はお客でもないのに館の中に入るのはいけないんじゃないかと  セバスに言うと、彼は少女がこの館の前に現れた時点で既にお客様ですからと言った。  館の中は薄暗かったが蝋燭の灯りがあるだけ外よりマシだった。  セバスが用意してくれた紅茶を口に含んで、ようやく少女は椅子に深く座ることが出来た。  「本日は、何を御覧になりますか?」  セバスは少女が落ち着くのを待っていたのか。  紅茶を飲み終えたばかりの少女にそう尋ねた。  「……何をって、何を?」  「何度も言うようですが、ここには特別な想いを思っている方しか   こられない仕組みになっているんです。あなたがここに居るのは   あなたが何かを見たいと強く思ったからこそなんです」  少女はセバスの言葉を疑っていた。  私には見たいものなんてないと、そう思ったのだ。  だが、セバスの微笑みは確信を持って、少女のその思いを見抜いていた。  いつものようにくだらない望みなら、叶えてあげたいとすら思わない。  けれど、彼女の望むことは決して悪いことなんかじゃない。  寧ろ、こちらから手を伸ばして、叶えてあげたい望みだった。  ――そのささやかな願いをあの人が聞いてくれたのだから。  「帰りたい。家に。」  少女の呟きはあまりにも小さかった。  しかし、セバスはその声を聞かなかったことにした。  「申し訳ありません、お客様。この館は一度入ったら出口に出るまで   元の場所には帰れない仕組みになっています。   お手数ですが、見るものが決まらなくても館を歩き回って頂きます。」  セバスが仰々しく謝ると、少女は困惑した顔で彼を見ていた。  その顔は今言ったことを疑っているような顔でもあったが  セバスが言ったことに嘘は無い。  ただし「鏡の在る場所に入った時点から~」という説明が足りないだけだった。  館に一度入っても鏡の在る場所に入らず、館から出れば帰れるのである。  「大丈夫です。私の指示に従っていただければ、問題なく出口に辿り着けます」  それではお手をどうぞ。  セバスがそう言って差し出した手の上に、少女は恐る恐る手を置いた。  少女の小さな手は、セバスの大きな手に包まれた。  ロビーを通り過ぎて、二階へ上がる大きな階段を上っていく。  階段を上がりきると、そこには大きな扉があった。  『ここから鏡の間、過去現在未来、そして死の間』  扉の中央にあるプレートに、注意書きのように見やすい字でそう書かれていた。  セバスの大きな手が、少女の手を少し強く握り返した。  少女はセバスの合図を受け取って、軽く握り返した。  セバスから教えてもらった『鏡に接する時のルール』を思い出しながら、  少女は息を呑んだ。  『鏡に目線を合わせてもいいが、受け答えをしない。話しかけられた場合は会釈すること』  『鏡に向かって、声を出してはいけない』  『案内役に必ず従うこと。鏡と話していいのは案内役だけ』  『鏡に触れてはいけない』  セバスが大きな扉をノックすると、軋む様な音を立てて、扉が開いていく。  見えてきたのは先の見えない、長い長い廊下だった。  手を引かれて歩き出すと、金色や銀色の鏡達が興味深そうに、こちらを気にしているのが伝わってくる。  途中で鏡の一つに、こんにちはと話しかけられたが、言われていた通りに会釈すると、  「いい子ね。」    そう言われて、少女は俯いた。  心の中がうずうずしてもいいはずなのに、ちくちく痛かった。  ……そんなんじゃないのに。  「――どうかしましたか?」  セバスの声に、ハッとして顔を上げる。  少女は、何でもないと返して、繋いでいた手を軽く前に引いた。  暫く歩いていると、最初の『過去の間』を抜けたようで、広い部屋に辿り着いた。  どうやら休憩所のようだった。  そこで初めて、少女はセバスのように執事っぽい服を着ている人達に会った。  「よう、セバス。ご苦労様。」  一人の男性が近付いてきた。  少女がどなたですか?と尋ねると  その男性は、自分の名前はないと言った。  「え、でも……セバスは?」  「セバスは優秀な案内役に付けられる言わば、称号の名前だ。   案内役には基本、名前は与えられない。お客さんは、一見さんばかりだからね。   あっても意味がないのさ。そこのところ教えなかったのかい?――セバスは」  「別に。教えなくても、案内はできるさ」  素っ気無く答えるセバスを軽く笑い返すと、その男性は別の案内役のところへ話をしにいった。  少女はその男性の態度に少しムッとしていると、セバスが少女の方を振り返った。  「どうしますか?お茶でも飲みますか?」  少女は首を振って、いらないと答えた。  「では、先を急ぎましょう。」  次の『現在の間』は通り過ぎても、あまり声がしなかった。  したはしたのだけど、等間隔だった前の『過去の間』とは違い  ここの鏡達の反応はとびとびだった。  それでも鏡達は、皆気さくに話しかけてくる。  会釈を返しながら、休憩所でのセバスの反応が気になって  ジッとセバスの方を見ていたら、鏡達がひそひそ話しているのが聞こえた気がした。  「――あの子、セバスのこと気になってきてるみたいね。」  その言葉を聞いた瞬間、少女の足が止まった。  セバスは、また俯いてしまった少女の顔色を窺うように、両膝を床についた。  少女はセバスの手を握ったまま、ギュッと目を閉じていた。  何かを我慢しているようだったが、このままでは先に進めないので  セバスは少女の頬に、手をそっと添えた。  頑なだった少女の両目が見えてくると、セバスは微笑んだ。  「――進みましょう、あと一つだけですから。」  ホッとしたように息を吐いた少女は、立ち上がったセバスの手を握り直す。  二人は、明るさの変わらない長い長い廊下を再び歩き出した。 ―――――後編に続く。


 
 

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