14歳の頃、
当時の私にとっての世界と言えば
学校と家庭がほぼ全部で
両親とも教職についていることもあって
"学校"の占めるウェイトは大きなものでした。
なので学校に行きたくないという気持ちを、
パンクするまで両親に打ち明けられずにいました。
朝家を出て学校に向かったフリをして、
頃合いを見てこっそり家に帰る。
自分でも自分の変化を受け入れられず
せっかく学校を休んでいるのに
ゲームをするでもなく
テレビを見るでもなく、
ただボーッとしていた。
出席状況としては
無断欠席が続いているので
保護者に連絡が入ります。
両親の知るところとなるまでに
そう時間はかかりませんでした。
それでも
心のどこかで少しほっとしていた。
ある意味では辛いと言えるチャンスです。
もしかしたら
なんとかしてくれるんじゃないか
という思いをもって、
母に胸中を告げました。
当初母は受け入れてはくれませんでした。
拒絶された
という方が私から見た印象には
近いかもしれません。
母は取り乱し、
言った本人でさえ
覚えていないような言葉を口にしました。
その時の言葉は
こういった場にもあまり書き残したくないので
想像に任せる形にさせてください。
当時の私にとっての世界と言えば
家庭と学校がほぼ全部です。
その両方に
居場所がなくなったと感じたし、
何より母から初めて言われた言葉が
本当にショックだった。
どうやって自室に向かったのかも
覚えていません。
次の日からは
"学校に行こうとするフリ"さえ
できなくなってしまった。
部屋から出るのも憚られるようになり
友人から遊びに行こうと誘われても
行くとも行かないとも言えずに
毎回ただ無言で電話を切るばかり。
その内電話も来なくなり、
当時の友人達とも疎遠になっていきました。
自分が食べてはいけない気がして、
両親の作ったものが
食べられなくなったりもしました。
この頃の気持ちを表現するなら
「どうでもいい」
の一言に尽きます。
滅多な方向に思い詰めなかったのは
運が良かったんだと思います。
行動力というか、
エネルギーの無さが
ある意味幸いしました。
ここから
少し回復させてくれた要素は
"時間"です。
時間が忘れさせてくれる
というような話はよく聞きますが
私の場合もそうでした。
この時期は
時間以外の
何も受け付けない状態
だったんじゃないかと
自分では思います。
今なら元気が出せるようなものも
全て素通りしていきました。
時間が経って
もともと好きだったゲームには
エネルギーを向けられるようになっていきます。
昼夜は完全に逆転し、
明けても暮れても
ひたすらゲーム。
とは言え
前向きな気持ちでは
ゲームに向かっていません。
ゲームがしたいというより
ゲームをしていないと辛かった
というのが大きいです。
眠れないと
夜が本当に長くて、
嫌なことばかり考えてしまう。
でも
夜が明けたら明日になってしまう。
明日はきっと
今日よりも悪くなっている。
できるだけ考えないように
眠れるまでゲームをする。
この繰り返し。
こんな生活が1年以上続いて
ある日
ネットゲームを通じて親しくなった人から
遊びに行こうと誘われます。
この時踏み出せた理由は
自分でもよくわかっていません。
タイミングが良かったのか
あるいは時間が楽にしてくれたのか。
現状を変えよう
というような意識で向かった
つもりはなく、
不思議と軽い気持ちで
外に出られた。
久しぶりの外、
久しぶりの昼。
とても眩しくて
少しの間目が開けられなかった
のを覚えています。
そうして
会った人達には
励ましも
慰めもされなかった、
それも
私には合っていたのかもしれません。
"楽しい"
という気持ちだけは
思い出したことで
また外に出られるようになり、
今度は
楽しさから
ゲームに没頭できるように
なっていました。
今なお付き合いのある
10年来の友人達と
縁ができたのもそこからです。
以上が
私の10代の頃の、
不登校・引きこもりにまつわる体験談です。
今も自立はできていませんが
それでも
楽しいという気持ちは
見失わなくなりました。
何度も摩擦もあったし
時間もかかったけれど
今は両親との関係も良好です。
ここまでを
体験談①としまして
もうひとつ現在の話も
投稿させて頂いているので、
よければそちらもお付き合いください。
読んでくれてありがとう。