あれは暑い時期が終わって、
涼しい時期が近づいてた
雲一つない晴れの日。
いつものように朝起きて、
支度をして、
馬の世話をしていた時だった。
「――お母さんにおこられるかも。」
馬用の水を溜める大きな甕から、
声が聞こえた気がした。
水を汲んだ桶を傍に置いて、
私の背丈よりちょっとだけ低いの甕の中を覗き込んだ。
映っていた空は灰色で、
誰かが何かを布で拭いてるのが見えて、
つい声をかけた。
「――誰か、いるの?」
「……え?」
見えていた部分が引っ込んで、
ちょっとしたら戻ってきた。
空が灰色の景色の中、
私と同じくらいの年の子がこっちを見ている。
「あなたはだあれ?」
「ハル。」
「かなはかなだよ。」
「ハルは何してるの?」
「……え?馬に水をあげようと思って、
水がめのぞいたら、かなが映ってた。」
「かなは?」
「かなはね、雨やどりしてるの。」
「……そっか、どおりで空が灰色なんだ。」
かなと話してる間のことはよく覚えてない。
今思えば、
いつ生まれたとか
どんなところに住んでるなんて話を
しておけばよかったと思う。
あの時はただ、
同じくらいの年の子がいなかったから、
話せる嬉しさでなにもかも忘れていた。
お互いに何が好きなのかを話したのは覚えてる。
内容は詳しく思い出せないけれど。
楽しい時間はあっという間に過ぎていって。
世話をしていた馬が
肩をつついて、振り向いた。
それは、
かなの肩に誰かの手が
映ったのと同時だった。
待たせていた馬に
意識を移した途端、
大きな甕の中は
元通りの青い空を映していた。
水を飲ませた馬を
厩舎に連れて行った時に、
厩舎で掃除をしていた父親に
かなに会ったことを話すと
渋い顔をされた。
その場では何も言われなかった。
けれど、
夕食を食べた後で、
話があると呼び止めた父親は
こわい顔をしていた。
「一時的とはいえ、
どこかの誰かと繋がるのは、
わたりを引き起こす。
村では御法度だ。」
御法度、
要は『してはいけないこと』。
それぞれの世界を生きる為には
必要以上に干渉しない。
それが私の世界のルールだと。
「ただ、話をしたいだけならよしなさい。」
数年経った今なら、
父親がそう咎めたのも理解できる。
都会では何歳だろうが、
わたりを起こした人は
捕まるからだ。
あの時はそれがわからなかった。
私が悪いから、
会ったらいけないのかと言ったら
困った顏の父親が怒った声で言った。
「お前の都合で、
かなは自分の世界を捨てるはめになる。
……それをしたいのか?」
黙った私に、
部屋に戻りなさいと言い、
父親は自分の部屋に入った。
楽しかった筈の出来事が
何だか悪いものに変わった気がして、
その日は窓辺にあった好きな花から
目を逸らした。
あれから、
水に近づくことを禁止された。
起きてしまったことは
仕方ないことだからと念の為。
……悪いわけじゃないのに。
もどかしさだけが
ぐるぐる頭の中をはい回る。
そんな気持ちが
馬に伝わってしまったのか、
慰めるように頭を摺り寄せてきて、
思わず泣いてしまう。
二度と会えないのは悲しいけれど、
会ったことは良いことだから、
この思い出は大切にしよう。
窓辺に飾ってる花の中に、
湖の近くに咲いていた花を追加した。
茎がつるっとして、
反り返った花びらが光に当たって
キラキラしている。
隣にある花びらが細い花が、
夜に見る光みたいに見えた。
――今年も涼しい時期が来て、
雨上がりの晴れた青い空を馬と一緒に眺めていた。
もうすぐ、
見られなくなる花畑の中を歩きながら、
数年前のことを思い出す。
「私は忘れないよ。」
ー完ー