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『ミラーハウスへようこそ』後編

執筆者の写真: room ひきピアroom ひきピア

休憩所でゆっくり紅茶を頂いたのち、二人は目的地の一つ前の『未来の間』に入る。  ――このまま滞りなくいくかと思いきや、暫く進むと、誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。  セバスは小声で、またかと呟いた。少女がセバスの手を軽く握ると、  セバスは安心させるように少女の手を握り返した。  そして、すすり泣いていた声の方に近付くと、執事の格好をした女性が両手で顔を覆って泣いていた。  初めて見た女性の案内役に物珍しさを感じつつも、話しかけずに通り過ぎようとするセバスの後をついていく。  だが、放っておくことが出来なかった少女は、セバスの手を離して女性の案内役のところに戻ってしまった。  セバスは少女を慌てて追いかけた。  「……大丈夫ですか?」  少女が声を掛けると、女性の案内役はポカンとして動かなくなってしまった。  少女は女性の視界で見えるように手を振っていたが、女性はぴくりとも動かない。  「何をしているんですか?」  セバスが少女に追い付いた。  少女は女性が動かなくなったと告げると……  「鏡の中に入った所為でしょう。鏡たちとのルールを守らないと   鏡は守らなかった者と案内役を、強制的に閉じ込めてしまいます。   ここは年代物ばかりですから、体内の時間が狂いすぎて、ここが何処だかも分からなくなっているんです。」  私の案内に従ってくださいと言ったのは、こういう理由があったからです。  ――と、セバスは付け加えた。  「もっと早くに教えてくれれば良かったのに。」  「言わなかったのは、被害者が居なかったからです。   言うだけなら簡単ですが、現実を見ないと、人は半信半疑のままですから。」  「ちなみに、声が聞こえない鏡達は、全部人を閉じ込めた状態です。   それぞれの『間』を抜けた先に休憩所があるのは、お客様を疲れさせないためでもありますが   鏡に閉じ込められた後は、救護室としても利用しています。」  「閉じ込められてる時間は?」  「こちらの時間で大体、50分くらいです。」  セバスは休憩所から出てきた執事の人に、女性の案内役を預けた。  この男性もまたかと呟いたので、この女性は何度も同じ目に遭っている人なのだと少女は理解した。  「行きましょう。」  セバスが手を差し出さなくても、少女はセバスの手を取った。  また進み出したものの、周りは恐ろしく静かだった。  その理由を聞いてしまったからだろうか。  少女は鏡達に閉じ込められたら、どうしようという不安に襲われ始めていた。  歩いている道のりがとても長く感じられて。  話しかけられたら、怖がらずに会釈できるだろうかと考えると手が震えてくる。  そして、クスクスと笑う声が聞こえてきて……  「とうとう、理由を知ってしまったようね~」  「怖いでしょ、怖いわよね~」  「ほらほら、私達の声に反応しないほうがいいわよ~」  「そんな悪い子はおしおきしちゃうんだから~」  声に反応したくないのに耳を塞げないのは、何とも不便な状況だった。  少女は必死に前だけをみて進もうとするも、一度喋り出した鏡達は止まらなかった。  「ふふ、怖がってる~」  「さぁ、その手を離して、耳を塞げばいいじゃな~い」  「楽になるわよ~」  「そしたら、閉じ込めてあげるわ~永遠にねぇ~」  引っ切り無しに響く、鏡達の口撃にもう負けてしまいそうだった。  だが、セバスが強く手を握り返した。負けるな、と聞こえた気がした。  少女は振り向かないセバスに感謝しながら、もう一度前を向いて進んでいった。  暫くして、鏡達の声は止んだ。  ホッとしたのも、つかの間。  セバスは最後の扉の前で立ち止まった。  そして『死の間』と書かれた扉をノックして、その扉はゆっくりと開いていった。  「ようやく、ここまで案内できました。」  どうぞ、と促されて戸惑う少女は、キョロキョロと周りをみる。  セバスは、目的の鏡の前に少女を案内すると。  「見せてあげてください。」  鏡に向かってそう言った。  「ん~?ああ、わかったよ。」  そう答えた鏡が、映し出したのは少女の心の中にあったわだかまりだった。  「……おばぁ、ちゃん……」  鏡の中にいる少女のおばあさんは、少女の姿に気付くと、微笑んで見せた。  「なんで、おばあちゃんは、死んだのに……」  生前と変わらない笑顔が、少女の中のしこりを破壊していく。  「どうして、笑ってるの?私は、間に合わなかったのに……」  ずっと病院で待っていてくれたその人は、最後の瞬間まで現れなかった私を恨んでいたんじゃないのか?  「一度だって、行かなかったんだよ。それなのに……」  なんだかんだと理由をつけて行かなかったのは、ただ単に面倒だった。それだけの理由だった。  「怒っていいんだよ、怒っていいんだ、笑わないで……」  死んだと聞かされて、そこで初めて行かなかったことを後悔した。  今更泣いたって遅いのに、死んだ人は戻ってこないのに、その日は一生分泣いた。  それからの毎日はずっとため息ばかりだった。  どんなに好きなことをしてても、つまらなくなって、全て投げ出していた。  周りの人達からの言葉も何も耳に入らなかった。  ただ、会いたかった。あの日のおばあちゃんに会って謝りたかった。  「ごめんなさい、おばあちゃん、ごめんなさい」  鏡の中のおばあちゃんが霞んで見えていた。  変わらない、私の好きだった笑顔がそこにある。  いつまでも泣いている私に手を伸ばしてきた。  鏡の中から伸ばされた手は冷たかったけれど  掌の感触は、元気だった頃のおばあちゃんの手、そのものだった。  嬉しい時、悲しい時、怒った時、楽しい時  いつもそこにあった、おばあちゃんの優しい手が好きでした。  ――いつまでも、悲しんでいるわけにはいかないでしょう?  ……あなたのその言葉で励まされてきた。  だから、今度はその言葉で、最後のお別れをします。  ――いつまでも、悲しんでいるわけにはいかないから  私は、前を向いて歩いていきます。



 無事にミラーハウスを出た少女は、いつのまにか歩道橋の真ん中に戻っていた。  夕日は雲を紅く染め上げていて。  足元を見れば、影がのっぽさんのように細長く伸びている。  ――今、いったい自分は何をしていたんだろう?  「お嬢さん、鞄が落ちていますよ。」  反対方向からきた全身を白で覆った痛々しいスーツのおじさんが  そう声を掛けてきた。  そのおじさんのいうとおり、手に持っていたはずの手提げ鞄が足元に  落ちていて、中身もちょっとだけ出ていた。  急いで詰め込んで鞄を拾い上げると、おじさんはにっこり笑って。  「ご利用、ありがとうございました。」  などと訳のわからないことを言って、反対方向へと去って行った。


 
 

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